2025年4月の奈良旅行について、前編はこちら。
なんだかんだ更新をしていないうちに実はこの秋も紅葉を観に京都・奈良へ行ってきたのだが、それはまた今度。
聖徳太子生誕の地といわれる橘寺を後にして、お次は奈良の古墳群といえばコレを思い浮かべる人も多いであろう石舞台古墳へ向かう。
途中で玉藻橋を通過。
ジブリのトトロ感があるこの風景、素敵。
自転車で颯爽と駆け抜けると気持ちがいい。
石舞台古墳のすぐ近くにあった農村レストラン 夢市茶屋さんで古代米御前をいただいた。
バランスがとれていて大変美味しい田舎膳であった。
ここはぜひまた行きたい…!
さて到着。
石舞台古墳は少しだけ上り坂を上った場所に位置する。ここは電動自転車だったのでスイスイ。
入口に料金所があって少し列ができていた。一般は入場料300円。
想像よりもかなり大きくてこれは見る価値がかなり感じられた。
石舞台古墳は古代の権力者 蘇我馬子の墓ではないかといわれている。
逆賊とされた蘇我入鹿の祖父である蘇我馬子の方墳だから破壊されたのか、それとも自然の摂理か、盛土が残っておらず中身が露出してしまっている状態だ。
それにしても前編で紹介した鬼の俎・雪隠と比べても桁違いの大きさである。
内側から見るとこのような状態で残っている。
こんな巨大な岩の板をどうやって運んだのやら。
つくり方としては、今こうして空間になっている場所には土があって、まずは地面に溝を掘って側面の岩板を入れていく。そして上に岩板をのせたら真ん中の土を掘り出していくというように作るそうだ。
それにしたってこの岩をどうやってここまで運ぶのやら。
古墳をたっぷり堪能した後はまた次の場所へ向かう。
厄除けの御寺 岡寺へ到着。
GoogleMapで調べているときは「結構離れた場所にあるから行けるかしら…」と思っていたが、なんのその。
電動自転車で向かえば全く問題ない。ほど近い場所であった。
ただし、自転車は山の麓の駐輪場に停めるので、そこからは自分の足で坂道と階段を上ることになる。
同行した70代の父はこの軽い登山で完全にやられてしまって、登りきったところで1時間ほど休憩してもらうことにした。
これはかなり無理をさせてしまったので悪かったと思う。
ご年配の方の参拝は体力とご相談されることをおすすめする。
岡寺は日本最初の厄除霊場とか。
今から約1300年前、天智天皇の勅願によって建立された。
華手水舎が可愛らしい。
キラッキラのインスタで有名なところなので、可愛いインスタ映えのお寺として知っている若い人も多いかもしれない。
これまた可愛らしいお地蔵さん。
秋の時期になるとライトアップと土曜日限定で夜の特別拝観もあるので、インスタ映えの場所に行って見たい方は日程を調べて訪れてみるとよろしいかと。
寺のあちこちに様々な草木花が茂っていて美しかった。
寺の奥へ進んでいくと、奥の院 稲荷明神神社へ続く参道が。
弥勒の窟といわれる石窟堂奥に弥勒菩薩座像も祀られていた。
さすがに中に入ることまではしなかったが、なんとも神秘的で立ち止まってしばらく見つめてしまった。
例えば戦時中、防空壕の中にこうした温かい弥勒菩薩様がいたら、人々の心は少しでも安らいだのだろうか。
そんなことを考えていた。
お次はまたまた自転車を走らせて飛鳥宮跡へ向かった。
一見するとただの原っぱにしか見えないので、ここで合っているのかかなり疑った…笑
草むらを進んでいくとそれっぽいところへ到着。
飛鳥宮跡は奈良時代の宮殿があった場所で、継続的に発掘調査が行われている。
飛鳥宮は敷地を10センチかさ上げするなど格式高い建物だったそうで、その柱の跡が白い杭で表されていた。
竪穴式住居に平民が住んでいた時代に、この辺り一帯はどーんと宮殿なんかがあったんだから、人々はその権威に恐れ戦いただろう。
そして、まさにこの場所の宮中で中大兄皇子・中臣鎌足らによる乙巳の変が起こった。
なんとも感慨深い。
歴史的に何度か王朝交代の危機はあったと思う。
それこそ武士の時代がやってきた室町時代くらいもだいぶ危機的だったと思うし、江戸時代も幕府は完全に朝廷や公家を軽んじていたと思うが、なぜか天皇は君臨し続けた。
天皇がいて、天皇に政を任された者として正当性を得ることが武士が実権を握ることには不可欠だった。
蘇我馬子から蘇我氏が大きな権力を握り、蘇我入鹿が滅ぼされるまで。
この時こそがもしかすると一番天皇家の地位が危機にあったのではないだろうか。
実権を握るという意味ではなく、完全に王朝を交代する危機。
下手すると蘇我氏に王朝を獲られていたかもと考えてみた。
そうなると中大兄皇子の行動は納得。
そしてそのあとに続く長い藤原家の時代。
藤原家は天皇という正当性を固辞したうえで上手く長く繁栄し続けた賢さがあったのかも。
少し日が傾き始め、奈良明日香村の旅も終盤。
飛鳥寺へ向かった。
飛鳥寺は蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院とのこと。
これだけ立派な(当時はどうだったか知らないが)寺院を建立できるのだから、蘇我氏の権力は本当に強大なものだったのだろう。
飛鳥大仏は現存する日本最古の仏像。
寺院の周りは何もない畑に囲まれた土地で、すごく静かな時間が流れている。
この寺院の中でお釈迦様と向き合ってい、古代の人はこの静かな大地でどんなことを感じ、考えて生きていたのだろうと思いを馳せる。
日本の安寧を拝む。
その当時の人々もそうだっただろうか?
そしてこの寺院のすぐ西側には蘇我入鹿首塚があった。
うーん。
さすが怨霊信仰の国…笑
こわい。
東京でも平将門の首塚が今もあるからねぇ。
最後は水落遺跡へ。
中大兄皇子が造った日本初の水時計の跡地ということで、ここはどうしても見ておきたかった。
漫画 天智と天武でもっぱら推しキャラの天智天皇(中大兄皇子)。
その功績は見ておきたかった。
飛鳥時代以前の縄文時代などの展示を見ていても思うのだが、我々の想像よりはるかに古代の人々の科学と技術は発展していたのではないだろうか。
むしろ色々なものを継承してきて当たり前に授かってしまった恩恵の上でボーっと生きている現代人のほとんどは、古代の人より知恵がないのかもね…。
無事に飛鳥駅に到着してゴール。
レンタル自転車屋さんによってはもっと帰り道から近い他の駅をゴールにして自転車を返却することも可能だったが、筆者が借りた自転車屋さんは同じ場所に返すルールだったので飛鳥駅へ戻ってきた。
電車がちょうど出てしまったので45分~1時間くらいここで待つのもなと思い、タクシーでホテルへ戻ることに。
タクシー乗り場へ向かうと…
明日香村を散策している途中で何度も顔を合わせた白人の一人旅行客の方がそこには居た。
本日お会いするのは5回目くらいであった。
ちなみに彼は自転車ではなく歩きで移動していたようなのだが、なぜか行く先々で出会う。
こっちは自転車なのになぜ同じペースなのか全くわからなかったが…笑
彼は何かに困っているようだった。
英語?で話しかけられたのでわかる単語で返答しつつ、バリッバリの日本語で「どこ行きたいの?一緒にタクシーに乗って連れて行ってあげようか?」とまくしたてる筆者に困惑する彼w
ここでスマホの翻訳アプリ登場。
なんとか会話が成立して彼のタクシーを1台呼んであげた。
どうやら電話が使えなかったからタクシーが呼べなくて困っていたらしい。
うむ。田舎なのでタクシーGOとかは使えないし、電話が使えないと色々と詰むだろうね…。
今回はまだまだ回り切れなかった古墳や場所もたくさんあるので、またいい季節になったら旅をしに来ようと思った。
奈良旅行記(明日香村 後編):自転車で颯爽と巡る
日常の雑談


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