2025年4月の関西旅行。
大阪万博はたまたま行ったのだが、そのときの目的は実は奈良の古墳を見に行くことだった。
京都が好きすぎて毎回京都旅行をしすぎということで、京都にも行きつつも京都以外でどこか行くところはないかと考えていて、そういえば同じく深い日本の歴史を持っていながらも修学旅行以来行っていなかった奈良に焦点を当てた。
父も私のせいで京都旅行にハマってしまってひとり旅をときどきしていたのだが、その際に間違えて乗った列車でたまたま奈良に行ったそう。
父はもちろん奈良の大仏さんなど有名観光地を楽しんだそうで、奈良もよかったよとおすすめされていた。
そして、私が目を付けたのは飛鳥時代である。
飛鳥時代に興味を持ったのは、これまた京都旅行の際に瑠璃光院を訪れたことだった。
正しくは無量寿山光明寺 京都本院 瑠璃光院という名称。
瑠璃光院については昨年にアップした記事を参照いただければと。
天智と天武 2024年8月24日
瑠璃光院で見たかま風呂→大海人皇子→飛鳥時代を学べる漫画を探す→「天智と天武」へたどり着く→シンプルに漫画にハマる笑→飛鳥時代に興味を持つ
それ以来、だんだんと平安時代から興味が飛鳥時代へと移り、その後どんどん時代は遡って縄文時代などへハマっていくことになる。
ただ、日本神話・古事記は最初から好き。
島根旅行でも古墳を訪れたが、奈良にも古墳がたくさんあるので行ってみることにした。
※本当は奈良公園→大神神社→明日香村という順で奈良を巡ったのだが、順番前後して明日香村からお届け。
泊まったホテルが橿原だったので明日香村までは電車ですぐの場所だった。
橿原神宮がホテルからほど近い場所にあったが、今回は日程的に時間が足りず断念。
電車で「飛鳥駅」についたら、駅のすぐ目の前にあるレンタル自転車屋さんで電動自転車を借りる。
自宅でどこに行くか地図を見ていろいろと考えていた時は「自転車で果たしてこの距離を走り切れるだろうか…?」とかなり不安に思ったが、何のこともなし。
タクシーやバスを使って巡るなんてとても非効率的で、電動自転車であれば坂道もスイスイだったので自転車で十分たくさんの場所を巡ることができた。
ちなみに今回の明日香村古墳巡りで参考にさせていただいたのはスキマにイストリヤさんのYoutube。
まずは駅から一番近い国営飛鳥歴史公園館へ。
ここはほとんど見るものはなく、観光案内所の隣のスペースくらいのイメージで一瞬で終了。
それからこれまたすぐ近くの高松塚古墳へ向かう。
高松塚古墳壁画館へ到着。
昭和47年に発見された高松塚古墳内の壁画の模写などが展示されている。
高松塚古墳に埋葬されているのは天武天皇につながる皇子が有力視されている。
壁画には玄武、白虎、青龍や飛鳥美人が描かれている。
飛鳥時代は貴族たちが宮殿で生活している一方で、一般庶民(農民)は弥生時代と変わらずまだ竪穴式住居に住んでいたといわれている。
なんとも不思議な時代というか、こんな豪華な壁画が描かれたお墓が造られるような時代と竪穴式住居の時代が同じというのが筆者の頭の中を混乱させている。
壁画館の隣にある高松塚古墳は緑が生い茂り、のどかで美しい場所だった。
次に、鬼の俎(まないた)・雪隠と呼ばれている史跡へ向かう。
※鬼の俎・雪隠の写真は筆者が正面からがっつり写ってしまっているので掲載なし。悪しからず。
途中の道は一面に菜の花が咲いていてとても綺麗だった。
向かう途中で天武持統天皇陵もあったので立ち寄っておいた。
鬼の俎・雪隠は長さ約4m、幅約2m、厚さ1mの巨大な岩で、どうやら古墳の底石などが露出したものらしい。
千年以上も前のものなので地盤の変化など様々な理由でそうなっていてもおかしくはない。
そのあたりは霧が多く発生していたことやその形などから、鬼が旅人を捕らえて料理して用を足していたという伝承からそう呼ばれているらしい。
うむ…。
本当にあったかもね笑
俎と雪隠を使っていたかはわからないが、鬼が旅人を捕らえて…というあたりは結構リアルだと筆者は感じる。
そしてお次は亀石へ。
なんだか可愛らしい見た目で、村の畑や民家の間をのどかに自転車で走っていると、道端にひょこっと現れる。
ところが、亀が西を向いた時には大和国一帯が泥の海に沈むという怖い伝説が残されているとのこと。
続いて、聖徳太子の生誕の場所といわれている仏頭山上宮皇院橘寺へ。
左側は”聖徳皇太子御誕生所”かな。
右側は”大日本佛法最初霊地”かな…?
かつて欽明天皇の橘の宮という別宮があったとされる場所で、572年用明天皇の皇子として聖徳太子はここで生まれ育ったとされる。
その後、推古天皇の命によって橘寺へと改められる。
文献で初めて登場するのは日本書紀で、680年の火災についての記述とのこと。
聖徳太子の愛馬である黒駒の像や本堂の聖徳太子像など、ゆっくりと隈なく拝観。
聖徳太子35歳の時のお姿とされる聖徳太子勝鬘経講讃像は非常に穏やかな表情でどっしりとした構え。知的さと偉大さを感じさせるものであった。
寺全体に花が咲いていて可愛らしい印象のお寺だった。
たくさんの植樹がされており、四季折々の草木を楽しめるとか。
往生院の中には260点もの花の天井画が飾られており、非常に美しかった。
風通しが良いお堂で、畳の上に寝転がってこの天井画を眺めているとあまりにも気持ちがよくてそのまま眠ってしまいそうだった。
こちらも橘寺といえばで有名な二面石。
古代の石造物の遺跡が多く残っていて面白い。
”右善面、左愚面と呼ばれ、我々の心の持ち方を表したもの”
とのこと。
どんな人も色んな側面をもつ。
千年以上経っても、人間が悩み続けることなのかしらね…。
この後も自転車でまだまだ飛鳥の地を巡る。
奈良旅行記(明日香村 前編):古墳にはまりつつある
日常の雑談


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